武藤刑部氏定を知ってる?

真田昌幸

2017年08月30日 19:47



戦国時代にこのあたり一宮を支配していた豪族。
1581年に高天神城で無念の死。

1569年には命からがら甲斐に逃げて
そこで武田信玄に出会い、おつきの真田源五郎(のちの真田昌幸)と会った。
『源五郎。そうじゃお前は甲斐の武藤をつげ。名門の仲間入りじゃ』
という信玄の鶴の一声で
武藤喜兵衛と名乗り、武藤刑部と意気投合したんだ。

1572年に西上作戦で信玄と一宮を取り戻した刑部は、
強固な山城の改築を武藤喜兵衛の兄にまかせた。

そして、森町の真田城のふもとには
『真田』という苗字のものが住み着き
そこは『真田山』と呼ばれるようになった。

森町の『真田城』は
真田昌幸や真田氏とかかわりのあるお城なんだなこれが。

みなさん、知らなかったでしょ。

小生は、時空を越えて
そのシーンを見てきたのでわかるんですね。